格格の北京日記


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タクシーにご用心

今日、久々に中国人とけんかした。
相手はタクシー運転手。

人民大学から建国門まで行くのには、北三環から北二環に入って東二環というのが通常ルート。値段は40元前後。

ところが、その日乗ったタクシーはなぜか北三環から東三環まで行って、光華路を西に戻って建国門まで来た。値段は56元にもなっていた。

明らかに遠回りされた。
こちらが道を知らないと思って、ふざけた運転手だ。
ここで黙っているわけにはいかない。


「56元ですって。高すぎる!
私は何回も来たことあるけど、いつも40元くらいよ。
あんた、遠回りしたわね。なんですぐに二環に入らなかったのよ」

と言うと、運転手
「二環は渋滞しているから避けた。わかるか?渋滞だ」
你知道嗎?と馬鹿にしたように言われたので完全に頭にきた。

「んなことはわかってるわよ。
何回も来たことがあるって言ったでしょ。
50元を超えたことなんてないわよ」

こちらが遠回りされたことに気づいていること知ると、
運転手はわりとあっさりと値下げを申し出てきた。

「じゃあ45元でいいよ」

「40!」

「わかった40でいい」

こうして40元で落ち着いた。

明らかに運転手にやましいところがあったので、今回は素直に値下げをしてきた。しかし、こちらが何も言わなかったら高い額を取っていたのだから実に腹立たしい。

もしもタクシーでトラブルに遭ったならば、免許証番号を控え、監督局へ電話をするというのが正しい対処法である。今回も値下げしないようだったら監督局に電話してやろうかと思ったが、運転手の方も私が怒っていることを知って、監督局に苦情を入れられることを恐れたのだろう。

北京のタクシードライバーにはまだまだ遠回りしたりしてペテンにかける輩が多いので注意しなければならない。外国人だけではなく、中国人でも北京人じゃないと見ると遠回りしてくるそうなので、こちらとしては遠回りされているかどうかは、道を覚えて自衛するしかないのではあるが。

詐欺以外にも、ひどい運転をするやつは日常的にいる。
無理な割り込み。めちゃくちゃな車線変更。それも横移動して一気に2車線くらい車線変更する。他のドライバーを煽ったりするやつもしょっちゅうみかける。
こちらがもっとスピード落としてとか、安全運転してと言っても聞く耳をもたない。
あいかわらず窓から痰をカーッ、ペッ!と吐き捨てるし。

まあ、これでも以前に比べればだいぶよくはなっているほうなのだが。



北京のタクシーには要注意である。
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by dagege | 2007-10-31 18:14


火傷の対処法

大学学部時代の先輩が北京に遊びに来たので一緒に頤和園見物に行った。
久しぶりの頤和園は昔と変わらず美しかったが、団体客がぞろぞろいて、平日だというのにたいそうな人ごみであった。

頤和園記は別項で書くとして、今日特筆すべきは夕食での出来事。

国慶節旅行中、遵化でおいしい老鴨湯を食べてすっかり老鴨湯ファンになってしまった。
北京大東門付近に老鴨湯の看板を出している店があるので、そこに行ってみようということになり、4人で北京大から黒タクに乗った。

この黒タク、北京大の留学生の間ではマリオカートと呼ばれている名物黒タクらしい。
マリオのような運転手と今にも分解しそうなボロイ車(マリオ曰く、18年乗っている)だが、
腕は確かなようで、細い道を減速せずにスイスイ進んでいった。
食事前にスリリングな体験をした。

店に着いて老鴨湯を注文。
鴨のダシの濃厚なスープで鍋。美味である。
主食は麺を頼んだのだが、出てきたのは練った小麦粉の塊。
すいとんにでもするのかと思ったが、入れる前に服務員がその場でびろーんと手で伸ばしてきし麺のようにしてくれた。
鴨のスープで煮込んだ手伸ばし麺はおいしかった。



ところで、食事中私はついうっかり鍋に接触していて熱くなっていた皿に触れてしまった。
かなり熱かった。
火傷の対処法はまず冷やすこと。
トイレに行って水道で冷やそうとしたが、水がチョロチョロとしか出ない。
服務員に火傷をしたので氷はないかと尋ねたところ、冷凍庫からこそげ落としたと思われる氷を袋に入れて持ってきてくれた。おかげで冷やすことができた。

氷が融けた頃にもっと氷はないかと聞くと、もうないと言うが、その服務員、
「火傷をした時はこれを塗るのよ」と、小鉢に黒酢を入れて持ってきた。
酢を塗るのか?といぶかしんでいると彼女は自ら私の患部に塗ってくれた。

中国では火傷をしたときには酢を塗るのだろうか?
中国医学?民間療法?
酢を塗っても別に冷えてくる感じはしない。
薬効でもあるのだろうか?

翌日、患部は水ぶくれをおこしていたが、数日すれば引くだろう。
酢が効いたかどうかは謎である。
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by dagege | 2007-10-23 22:43


ヤフーがのっとられた?!

つい先日のことであるが、夜ネットサーフィンをしていて、ヤフージャパンから検索ワードを入れたところ、なぜか中国の検索エンジン百度に飛ばされてしまった。何度やっても同じ結果。

gooは正常に検索できたのだが、その日はなぜかヤフーがおかしかった。
最初は自分のパソコンの設定がいかれてしまったのかと心配したが、翌日には普通に戻っていた。

あれは一体なんだったのだろうかと疑問に思っていたのだが、今日のヤフーニュースに驚くべき記事が載っていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071020-00000001-cnet-sci
中国が米国の検索エンジンを「ジャック」?--ダライ・ラマ褒章への報復か
10月20日2時0分配信 CNET Japan

元記事はこちら。
http://www.news.com/8301-10784_3-9799973-7.html



実はあの現象は私のところだけではなく、中国国内の広範囲にわたっておきた現象であり、中国のサイバー攻撃による外国検索エンジンの「ジャック」だったというのだ。

本当だろうか。中国からの攻撃だとして、政府のしわざなのか、それとも愉快犯的なハッカーのしわざなのか?ダライラマの勲章受賞に対する米国への抗議なのか?それとは無関係なのか?
謎は深まるばかりである。

中国では確かにネットが制限されているのを感じる。中国人学生の寮からは外国のサイトは見られない。留学生寮からは一応見られるが、制限されて開けないサイトも多い。なぜかウィキペディアは開けないし、私の部屋からは2ちゃんねるにも書き込めない。いわゆるヤバイ単語の載っているページは絶対に開けなくなっている。友人によると、メールも届かないことがあり、検閲疑惑がある。あまり書くと私も目をつけられるかもしれないので、きわどい話はこのくらいにしておこう。
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by dagege | 2007-10-20 15:21


写真を加工して遊ぶ

ブログのロゴ画像がつまらないので、ぴったりくる写真はないかと探してみた。

そうしたら、最近のじゃないけど、景山公園で清朝の旗袍(チーパオ)を着た写真があったんで、画像加工して載せてみた。

旗袍は「旗人」の着ていた衣装だから旗袍という。チャイナドレスの原型だが、現代のチャイナドレスは民国時代に西洋ドレスの影響を受けてできたもの。私は清朝式のゆったりとした旗袍の方が好きだ。こちらの方が優雅で上品じゃありませんか。と体型に自信がないので言っている。いや、痩せたら体の線が出るチャイナドレスも着たいんだけどね。そんな日は来るのだろうか。
実際に清朝式の旗袍も現代式チャイナドレスも持っているのだが、悲しいかな、着る機会がないのでタンスにしまわれている。


画像加工は初めてだったけど、フリーソフトのJTrimをダウンロードして、いろいろいじってみた。画像をいじって遊ぶのは結構面白い。

そんなわけで、修正写真。
見苦しい顔をぼかしてから、全体的にクラッシック調にセピアにしてみた。

清末みたいに見えるかしら。

ロゴ以外にもこんな写真も。

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それから、これはウルムチの天池で撮ったカザフ族の衣装の写真。
顔にぼかしをいれてから、後に邪魔なおっさんが写りこんでいたので、背景色で塗りつぶして消去。

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とまあ、こんな写真をアップしたら、私がコスプレ好きだということを暴露しているようなものだな。

中国観光地には大体どこにでも貸衣装屋がいて、10元ほどで衣装を貸してくれる。
それを見ると、つい撮りたくなってしまう。

日本の観光地には、こうゆうのはほとんどない。あっても縦看板の穴あきパネルに首を突っ込んで撮るタイプ。これは不自然なネタ写真しか撮れないし、首を突っ込んでいる姿がダサいので、ちょっとやる気にはなれない。
日本でも観光地で貸衣装をやったらうけるんじゃないかな。
東大赤門前で、戦前の学生の衣装でも貸し出したら、繁盛するのではないか?
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by dagege | 2007-10-17 03:53


胡同めぐり

bamboo-bearさんら4人で北京の胡同めぐりをした。
今はオリンピック前の建設ラッシュ。古い胡同もどんどん壊されたり、ゴテゴテに修理されたりしてどんどん姿を変えている。そうなる前に今のうちに見ておきたかった。

午後、最初に鼓楼あたりから見物を始めた。この辺りには日本のアニメDVDやゲームなどを売っている店が多い。賑やかな繁華街だが、胡同に入っていくと昔から変わらない老北京の姿があった。鳥かごをぶら下げて日向ぼっこする老人や、将棋をさす人。北京人は鳥を飼うのが好きだ。インコ、九官鳥、鳩などを飼っているのをよく見る。鳩は飛ばす訓練をして、足に笛をつけて、風を切って笛を鳴らすのを楽しむそうだ。
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胡同で鳥かごをさげてくつろぐ人々。



古い時代の地図を見ながら胡同を歩いた。せっかくだから著名人の家を探そう、ということで近くにありそうな清代のマニアックな有名人の家へ。


コースは、鼓楼→栄禄の家→ソンゲリンチンの王府→郭沫若故居→恭親王府→慶親王府→梅蘭芳故居→溥傑の家→醇親王府。これらの多くは民家や政府機関として使われているため内部を見学することはできないので外から確認しただけ。恭親王府、醇親王府、郭沫若、梅蘭芳は公開されていて見学可能だが、時間が遅かったので入らなかった。


まず訪ねたのは、栄禄の家。栄禄は満洲旗人、瓜爾佳氏。清末に直隷総督などを務めた大官で西太后の片腕。戊戌変法では、栄禄は変法派の西太后を排除計画を知り、西太后のために変法派を一網打尽に。義和団事件では開戦反対だったが、公使館攻撃を命ぜられ逆に公使館を保護し、西太后への戦争責任追及に逃げ道を用意した。西太后は栄禄の忠義ぶりに報いるために、彼の娘を醇親王載澧と結婚させた。そこに生まれた長男が溥儀であり、栄禄は溥儀の外祖父にあたる。

栄禄の家は菊児胡同にあった。そこには「旧宅院」という文物保護単位指定のプレートがあったが、栄禄の家とは書かれていなかった。住民が出てきたので聞いてみると、栄禄の家であると教えてくれた。プレートにもそのように書けばいいのに。直隷総督兼北洋大臣のお屋敷だったのだから、昔はさぞかし豪勢だったのだろうと思うが、今は多くの人の住宅になっているので中を見ることはできない。

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栄禄故居




次に訪ねたのは炒豆胡同のソンゲリンチン(僧格林沁)の王府。

ソンゲリンチンは内蒙古ホルチン(科爾沁)の親王で、清朝の将軍として活躍した。太平天国軍の北進を撃退したり、アロー戦争で奮闘したりと清朝のために頑張ったのだが、最後は捻軍の反乱を鎮圧に行って、戦死してしまった。同治帝は戦死の報を聞いて悲しみ、彼を太廟に祀り、また王府の近くに祠堂を建ててその忠義を称えたという。

こちらは「僧王府」というプレートがつけられている。門のところに彫刻を施した大きな石が2つ置かれていた。これは何だろうと思っていたが、後で調べると「門墩」といって、門枠を支える役割を果たしていたものであった。これだけ大きくて彫刻の美しい門墩があったのならば、往時の王府はさぞかし美しかったのだろうなと思われた。

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僧王府。彫刻を施した石が門墩。門墩についてはhttp://www.zggczj.com/Article/nbmk82/nbmk83/200605/4736.html
参照。




バスに少し乗って恭親王府方面へ行く。

途中に郭沫若故居がある。この辺りは三輪車の客引きが多くて辟易した。団体観光客もぞろぞろ移動していて騒がしい。三輪車の客引きはしつこいし、以前中国人の友人と一緒に乗ったのに、騙されて変なところで下ろされたりしたので、こりごりである。

近くの胡同で住宅の解体現場に出くわした。老夫婦によると、国がお金を出してくれるので、新しいものに立て替えるという。

恭親王府はメジャーな観光地なので観光客と三輪車だらけだった。通りにずらーっとものすごい数の三輪車が止まっていて、客引きをまくのも一苦労である。恭親王府は時間が遅かったので入らなかった。

恭親王府は恭親王奕訢が賜った屋敷だが、その前は慶親王府、さらにその前は乾隆帝の寵臣和珅の屋敷だったところだ。

恭親王奕訢は咸豊帝の弟。辛酉政変では西太后側に立ち粛順らを打倒し、議政王大臣、軍機大臣になったが、後に西太后と対立して失脚させられている。
奕訢の孫の溥偉は、清朝が滅亡するとドイツの租借地青島に移り復辟運動を行った。復辟のために私財をつぎ込み、この王府も売ることになってしまった。

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観光客で賑わう恭親王府。看板の文字は溥傑の筆。




恭親王府の近くには、溥儀の叔父載濤の屋敷、「濤貝勒府」がある。今は北京市第十三中学として使われている。

載濤は醇親王奕譞の七男で、道光帝の八男鐘郡王奕詥の養子となり、貝勒に封ぜられた。清末には兄醇親王載澧が摂政となり、載濤は陸軍を任せられた。1970年83歳まで長生きし、愛新覚羅一族の族長であった。

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濤貝勒府(現北京市第十三中学)




濤貝勒府から程近い定阜街には慶親王府がある。

慶親王奕劻は清末に軍機大臣などを務めた重要人物だが、辛亥革命勃発時に失脚していた袁世凱を呼び戻すように進言し、清朝滅亡の原因を作ってしまった。賄賂好きでものすごい蓄財をしていたそうだ。
現在は公安の建物になっていて、往時の面影はない。

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慶親王府。





その通りを歩いていくと護国寺街になり、京劇の名役者梅蘭芳の故居が記念館になっている。

護国寺街には溥傑が釈放後に住んだ家もある。溥傑はここで日本から呼び寄せた浩夫人と晩年まで生活した。浩夫人に先立たれてからは猫をたくさん飼っていたそうだ。1994年に溥傑が死去すると、この家は国に寄付された。護国寺街52号にはプレートなどはつけられていない。

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溥傑が住んでいた護国寺街52号。


ちなみに溥傑の遺骨は本人の希望により、日本と中国に分けられ、中国では散骨、日本では山口県下関市中山神社内の愛新覚羅社で浩夫人と、同級生と19歳で自殺した長女の慧生さんとともに眠っている。

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下関市中山神社内愛新覚羅社。2006年9月に訪ねたときに撮影。神社には浩さんが結婚式で着た着物などを展示する資料館もある。




日もとっぷりと暮れて暗くなったが、そこから歩いて後海をぐるりと歩いて醇親王府へ。醇親王府の花園は宋慶齢故居となって公開されている。

溥儀はここ醇親王府で1906年に生まれた。1924年に紫禁城を追われてからは醇親王府へ戻ったが身の危険を感じ、そこから日本公使館→天津張園→天津静園→満洲へと移ったのだ。





今日の胡同めぐりはよく歩いた。最後に新街口で夕食に北京ダックを食べ、今日の活動は終了した。新街口烤鴨店は値段も手ごろで、味もよく、地元の庶民で繁盛していて良い店だった。
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by dagege | 2007-10-14 01:37


外観美化大作戦

先日のことである。

窓の外でなにやらゴソゴソ気配がする。

ふと振り向くと、そこには人がぶら下がっていた!

ここは8階だぞ!

とびっくりしたが、おじさんが外観をペンキで塗りなおす作業中だった。
そういえば、そんなことをすると、張り紙もあったっけ。

今北京ではオリンピックにむけて建物の外観をきれいにしよう運動をしているらしい。

ある日本人研究者の方は大学外のアパートに住んでいるが、そこも外観美化作戦を始めたため、えらい迷惑をこうむったそうだ。

なんでも、帰宅すると、ドアの隙間から入り込んだ粉塵で部屋の中が真っ白になっていて、掃除に追われる羽目になったとか。




そんな、今さら建物の外観を塗りなさなくていいからさ、各国選手のためにもこの排ガスをなんとかするとか、他にやることはいくらでもあるんじゃない?

せめて北京のトイレを完全にドアありにしてほしい。故宮の近くの外国人観光客がたくさんいる通りでも、公衆トイレのドアがいまだにないのはどうかと思うよ。

ところで、最近はだいぶ寒くなったのだが、校内の芝生はまだ青々としている。この芝生も「緑化」の賜物なのだろうか?

※中国の「緑化」とは、普通の緑化のほかに、緑の塗料を芝生に吹き付けたり、ペンキで岩山を緑塗って文字通り緑にすることも「緑化」なのだ。
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by dagege | 2007-10-13 17:22


中国野菜

自転車を買って物の運搬が楽になったので、近所のスーパーで大量に食材を購入して冷蔵庫に貯蔵した。

今日の夕食はそれらを使って適当に料理を作った。

ナス、キャベツ、豚肉の炒め物。

戻した干しシイタケと昆布の煮しめ。

野菜は料理の前に洗剤で洗った。

実は野菜を洗剤で洗ったのは今日が初めてで、今までは水で簡単に洗っただけで、大して気にせずに食べていた。

昨日実家とスカイプで話た時、母親が「中国野菜は洗った方がいいんじゃない?」と心配そうに言っていた。

なんでも、最近日本のテレビで中国野菜特集が放送され、農民がヤバイ農薬をしたたるほどぶっかけている光景を見たのだという。
中国の消費者は野菜を洗剤で念入りに洗う。そうすることで多少マシになるのだという。

母はこれまで中国野菜に無頓着で、多少農薬がついていても安い方を買うというタイプだった。

その母が「やばいんじゃないの?」と言うくらいだから、よほど「したたるほど農薬をかけている」光景がすさまじかったのだろう。

そんな話を聞いてさすがに私も不安になって、野菜用の洗剤、洗うためのタライ、タワシを買ってきたわけである。

しかし、すでにたくさん食べてしまっているので手遅れな気もするし、洗剤ごときで落ちるのか疑問だし、ゴシゴシ時間をかけて洗うのは面倒だし、外食では洗ってない野菜を食べさせられているだろうし…。

今のところ、いつまで続けられるか、という感じです。

ちなみに私の周りの中国人は野菜洗剤を使っていません。
学生が多いからかもしれませんが。(中国人学生の寮にはキッチンがない)
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by dagege | 2007-10-11 01:48


自転車を買う

今日は授業の後にキャンパス内の自転車屋で自転車を買った。

自転車を買うのまでにひと月かかってしまったのは、新車で買うか中古で買うか迷っていたからだ。
中国人に話を聞くと、盗まれにくいように中古を勧める人と、故障やそれに付随する事故を避けるために新車を勧める人と、二派に別れた。

結局中古のが見つからなかったのと、中古でも新車でも値段差は50元くらいだろうということを聞き、新車で買うことにしたのだ。




店の人との交渉は、同じゼミの中国人の友達がついてきてくれたため、彼女たちがやってくれた。

普通の買い物だったら一人で大丈夫だが、店の人にあれこれ注文しながらやる買い物は難しい。

例えば、レストランでの注文も、メニューに表示されている料理を注文するのは簡単だが、材料が並べてある形式のところは、自分で材料を選んで、料理方法、味付けなどを指定しなければならない。
これは非常に難しい。
これができるようになれば、かなりの中国通である。
私も早くそのようになりたいものである。


実は自転車も、店の人にいろいろ注文して自転車を作ってもらわなければならないのだ。


半分出来上がっている自転車本体に、カゴやら固定式のカギやらを取り付けてもらい、そうしてようやく一台の自転車が完成する。

カギだけでもたくさんの種類があって、どれが安全かなど、検討してから自分で決定しなければならない。

結局、カギひとつでは不安だったため、自転車に取り付け式の固定カギと、ぶっといチェーンキーのふたつをつけることにした。

ここまでやっても盗まれる時は盗まれるんだろうな。
と思いつつも、この自転車を長く使うことができますように、と祈らずにはいられない。

お値段は本体130元にカギなどのオプションを足して170元のところを値段交渉で160元にしてもらった。
よその相場が200元前後なので、かなり安く手に入れることができた。



おニューの自転車に乗って早速近所のスーパーにお買い物。
野菜や鍋など、重いものをたくさん買った。
以前は重くてひーひー言いながら運んでいたけど、今日は自転車があるからラクチン。
実に快適だ。





自転車といえば、前回の留学(02~03年)のときに比べて、電動自動車が圧倒的に増えていることに気づいた。

ペダルをこがずにスイスイと走っていく彼らは実に得意げである。

中には外見がオートバイとほとんど変わらないものまであり、バイクかと思ったらエンジン式でなく、電動式だった。

北京ではオートバイは規制が厳しく乗ることができないが、電動式ということで規制を潜り抜けているのだろうか。

電動自転車とはいえ、かなりのスピードが出ているので、ぶつけられないように気をつけなくてはならない。
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by dagege | 2007-10-10 00:24


黄金週の旅行3 秦皇島→唐山北→遵化

3日目は移動日。
ここまで雨には降られはしたものの、特にトラブルもなく、至って順調だった。
「そろそろ落とし穴でもくるんじゃないか」と、天津支店さんが不吉なことをおっしゃっていたが、
まさかそれが現実のものになろうとは、その時はまだ思ってもいなかった。
そう、波乱はこれから訪れるのだ。




この日は翌日に清東陵を見るために、近隣の町遵化へ移動した。
ホテルの老板に相談したところ、列車で唐山北まで行ってからバスで遵化まで行くのが早くて安いという。そして丁度老板も商用で途中の町まで行くため、私たちは短いながらも電車の旅をともにすることになったのだ。

この老板は実にいい人で、私たちのために列車の切符を買うのを手伝ってくれたりと、いろいろ助けてくれた。
列車中で、彼は私たちにいろいろな話をしてくれた。
彼は若い頃、人民解放軍にいて、ベトナム戦争の支援にベトナムまで行ったことがあったという。その頃中国は非公式に北ベトナムに支援を行っていたため、中国の兵士はベトナム軍の軍装を身につけていたこと、中国だけではなく、北朝鮮、アルバニアなどの世界中の社会主義国の兵士がベトナムに来ていたことなど、非常に興味深い思い出話を語ってくれた。
彼は軍で文化関係の仕事をしており、80年代にはNHKの国際放送を聞いて日本語を勉強していた。日本人には非常に関心を持っているようだった。
文革が始まった頃に青春を向かえ、兵士としてベトナム戦争を体験したという老板の意外な経歴は興味深かった。考えてみれば、この世代の人たちは、みな激動の時代をくぐってきたのだ。街中の普通のおじさん、おばさんも、それぞれに歴史を背負っているのだろう。

彼は途中の駅で下車し、私たちは終点の唐山北で下車した。

そこは小さな田舎駅。こうゆう駅は奥地の農村から出稼ぎ労働者がまずやってきて、駅の周りにスラムのようなものを形成する。駅前には労働者用の1泊5元と看板を掲げた安宿や、いかにもなピンク床屋(散髪以外にも性的サービスを行う。夜になると室内ライトがピンクになり、小姐が客引きをする)があちこちにある。夜はちょっと怖そうである。

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私たちは昼食をとると、長距離バスターミナルで遵化行きのバスの切符を買った。

トラブルはここから始まった。


ターミナルの改札をくぐると、おばさんが遵化行きはこっちだと、私たちのチケットの半券をむしりとった。
しかし私たちはバスに乗る前にトイレに行きたいかったので、近くのド汚い農村トイレに入った。
そこは穴が掘ってあるだけで、ドアなどありはしない。目を背けたくなるほどの汚さなのに、有料なのが納得できない。

トイレから戻ると、おばさんとバスはいなくなっていた。
しかし、私たちは遵化行きのバスはたくさんあるから、どれに乗っても同じだろうぐらいにしか考えておらず、別のバスに乗り込んだ。
すると車掌がやってきて、このチケットは半券がないからだめだという。
バスターミナルで私たちは途方にくれ、職員をつかまえて事情を話した。
職員は、半券を切られたチケットは無効だからどうしょうもないというばかり。
実は同じバスターミナルを使っていても、乗り入れてくるバスは競合関係にあり、半券によってチケット代を分配するシステムだったのだ。
そうとは知らない私たちは、半券だけもぎ取られたのに、バスに乗り遅れてしまったのだ。

私は「チケット代は払ったのに、乗れないなんてひどい。お金を返して!」と叫ぶ。
bamboo-bear さんは「俺たちは騙されたんだ。助けてくれ!」と哀願。
わーわーぎゃーぎゃーやっていたら、辺りには野次馬もあつまり黒山の人だかりができた。
bamboo-bear さんの哀願が効いたのか、職員のおばさんが思い腰を上げて対処法を考えてくれた。
私たちのチケットを見て、その時間に出て行ったと思われるバスと同じ会社のバスをみつけ、こいつらを遵化まで乗せていってくれと口ぞえしてくれた。
おかげで私たちはなんとか遵化行きのバスに乗ることができたのだった。


今回のことで多くの教訓を得た。
バスのチケットは、乗り込むまで半券を切られてはならない。これは重要である。
半券を切られると無効になってしまうのだ。
そして交渉術。強く押すよりも、野次馬も巻き込んで哀願するほうが効果があるようだ。

この日は移動だけだったのに、上記のトラブルのおかげで、何もしていないのに疲れてしまった。



遵化についた頃には、雨も上がり、ようやく気も晴れた。
4人部屋で1泊60元の招待所を見つけて宿泊。さびれているが、学校の宿舎だったものを招待所にしたようだ。

安くていいと思ったのだが、蚊がたくさんいて、蚊と格闘するはめになった。4人で何匹も殺したのに、窓がしっかりしまらないので、すぐ入ってくる。電気蚊取りでなんとかしのいだ。

夕食は町のレストランで老鴨湯を食べた。鴨を1羽使ったスープで鍋をやるのだ。鴨のだしがよくきいていて非常に美味。すっかり老鴨湯ファンになってしまった。
その店の服務員は非常によくサービスしてくれるのだが、ぴったりくっついて鍋奉行をされると、緊張してしまう。だが、味、サービス、雰囲気など、とてもよい店だった。
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by dagege | 2007-10-06 04:03


黄金週の旅行2 北戴河

その日は朝から雨だった。

ホテルの老板(主人)は小雨だと言っていたが、これは日本人的感覚では小雨とは言いがたい。

この日はバスに乗って北戴河地区を見学に行った。路線バスに乗って30分ほどで北戴河まで着いた。

北戴河は清末に清朝政府が外国人のために開いた避暑地である。今も中国政府の高官の別荘が多い。毛沢東もよく訪れた場所であり、重要な会議もここで開かれた。1971年に林彪が毛沢東を暗殺しようとしたことが露見し、ソ連へ逃亡しようとした際も、北戴河から飛び立ったという。(林彪の乗った飛行機はモンゴルで墜落)



北戴河は夏は多くの海水浴客で賑わう。しかし、この季節に泳ぐ人間はいない。しかも雨がザーザー降っているので、観光客は少なかった。

我々はとりあえず、地図を片手にまず、老虎石公園に行ってみることにした。この虎の岩は、秦の始皇帝がこの地に巡幸した際に虎狩をし、逃げた虎が岩になったという伝説がある。秦皇島という地名も秦の始皇帝からきており、始皇帝はこの地に行宮を設けて滞在し、不老不死の薬を求めるために道士徐福を送り出したという。徐福はそのまま日本にたどり着き、戻っては来なかったといわれている。

老虎石公園の前まで着くと、普通の海水浴場だったので入るかどうか躊躇した。雨も降っているし、このまま砂浜に入ったら足が砂だらけになることは目に見えていた。ただの砂浜にチケット8元を払うのも癪だった。

柵の外から眺めていたら、柵から見えるところに始皇帝伝説の老虎石が見えた。思ったより小さかったし、人もほとんど注目しないようなところにひっそりとあった。岩も見たし、入らなくていいやという結論になり、次の場所に向かった。

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老虎石公園のビーチ

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始皇帝に追われた虎が岩になったという伝説の老虎石

海岸を歩いていると、いくつかの面白いものを見つけた。

まずは「早期外交使節浴場」と彫られた岩。
ここで清末の外交官らが海水浴をした様子は、どのようなものだったのだろうかと想像をめぐらせた。

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次に見つけたのは西洋人の銅像。誰かと思ってみたら、イギリス人のキンダー(金達)だった。

キンダーは、清朝が初めて自前で鉄道を敷設し、蒸気機関車を作った際に携わった鉄道技師である。清朝の自前鉄道は1881年に唐山―胥各庄間が開通したことに始まる。(その後この路線は延長され京奉線になる。)

銅像の後の説明文によると、キンダーが北戴河がすばらしさを発見し、外国人に宣伝したことによって北戴河は有名になったそうだ。「北戴河の観光開発に貢献した」と称えられている。

イギリス人が銅像を作って称えられているということに、まず驚いた。一昔前だったら、帝国主義の手先として批判対象だっただろう。時代も変わったものである。

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しばらく歩いてから昼食。北戴河は海鮮が有名だ。特に蟹が名物だというから、食べないわけにはいかない。蟹、サザエ、蛸などを注文する。久々においしい海鮮が食べられて大満足である。4人で280元ほどだったが、1人日本円で1500円くらいだろうか。あれだけ食べられて1500円というのもうれしい。

それから地図をたよりに秦皇宮というものを見に行った。
着いてみると兵馬俑レプリカなどが置かれていて、秦をイメージしたテーマパークのようだった。
ところがそこは閉館していた。連休中に閉館しているとは、なんというやる気のなさだろう。しかも地図には博物館なるものが隣にあることになっているが、そんなものは見当たらない。近所の人に聞いてみると、これから建設する予定なものであるという。だったら地図に書いておくなよ!

気を取り直してタクシーで鴿子窩公園へ。ここはいろいろなものが置かれた不思議な公園だった。オランダ風車に、頤和園を模した長廊、巨大な鳩小屋、毛沢東の像。中国も西洋も入り混じっていて、この公園にコンセプトはあるのだろうか???

高台から眺めた20メートルの巨岩、鷹角石は見ごたえがあった。しかしその頃、雨はますます強くなり、高台は特に風が強く、ゆっくりと眺める余裕はなかった。

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毛沢東像
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鷹角石
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鴿子窩公園の高台からの風景


すっかりずぶぬれになった私たちは、早めにホテルに戻ることにした。
そして、ホテルで白酒をあおって冷えた体を温めた。
その日は白酒を2本も空けてしまった。よく飲んだものだ。
夕食は老板に近所の餃子屋を紹介してもらった。地元民お勧めの店だけあって、安くておいしかった。
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by dagege | 2007-10-05 20:52

    

北京に留学している格格の日記です。中国のおもしろ体験を紹介できたらと思います。格格はゲゲと読みます。満洲語の女性の敬称で、お姉さん、娘、お嬢さん、お姫様など場合に応じて使い分けられます。
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